モロッコ・Iche
「Iche(イチ)」に到着し、村の中央に車を止めると、何処からともなくゾロゾロと人が集まってきます。男性6名、子供多数。。。。
なんだかな~…ちょっと気持ち悪いな~。。
でも、村の人だって同じです。自分たちの村に知らない車が来たら、警戒して見に来るのは当たり前。。
ここはひとつ、モロッコ語で元気に挨拶です!!「サラマリコム!」
「アリコムサラハム!サヴァ?」向こうも陽気に答えてくれます。
「サヴァ・ビアン!!」そう言って握手をするのがモロッコの挨拶。女性と男性で挨拶の仕方が違うので面白いです。
村の人たちは、初めて来た日本人に興味津々!しかも日本のナンバーを見つけて「車で来たのか~!?」と大盛りあがり。
集まってきた村人の中に「村のポリスです」という人がいて、パスポートと登録証を提出。
村を訪ねてきた外国人は、全て登録するのか、何やらノートに我々の情報を書き込んでました。
パソコンに入力じゃない所がモロッコの田舎らしいでしょ。
お巡りさん…(と言っても、ミリタリーなんですけどね)ジーナさんのナンバーを見て・・・苦笑い。
「書けないから、書いてくれ。」とノートを渡されました。
そうそう!写真で気がついていらっしゃる方も多いと思いますが、ジーナさんのナンバーを日本語ナンバーに戻してます。
「る」が国際ナンバーになると「RU」になり、ポリスやいろんな方々に『ロシアの車か!?』と聞かれるのが面倒なので日本語に戻したのです。
日本のナンバーで走っても、特に問題はありません。
我々に身分証明が終わると、村人の一人が村の案内をしてくれるようです。頼んでないのについてくるのがモロッコ。。。
この村は本当に古い古い小さな小さな村です。細い路地で構築されている古い住居地域を見学します。
古い村は「石と土」で出来ています。ここに来るまでの道のりでお分かりの様に、この辺りには木が生えていません。
生えているのはオアシスのパームツリーのみ。屋根となる所の土台にはパームツリーが使われていました。
小さな村ですがちゃんと着いて行かないと迷子になる~。正面、壁の色が少し違う建物はモスクです。
第一村人発見!!おじいちゃんに「サラマリコム!」
ここは村のお洗濯場。今は使われていないのかちょっと汚いけど、水は綺麗なんです。
そしてここに流れていたのは・・・温かいお湯!そうです!温泉です!!!
ひえ~!!この渇いた土地に湧き出していたのは温泉だってなんて~~~!!!びっくりです!!
古い村の一番奥。綺麗な建物がありました。村の集会場??夏には観光客の為にホテルとして解放する施設なんだって~。
その隣に建っていたのが【ベルベルテント】。ラクダの毛で編まれたこのテントは砂漠の日差しや砂、雨にも強くとっても頑丈!!
そしてこの先、ひとつ山の向こうはアルジェリアです。1994年からモロッコとアルジェリアの国境は閉鎖されています。ここからアルジェリアに行くことは出来ません。
実はこの村、かつてはアルジェリアからモロッコへのラクダのキャラバン隊の中継地点。アルジェリアとの交易で栄え沢山の人が住んでいたそうです。
国境が閉鎖された現在、住んでいるのは軍関係者とその家族のみ。200人程度の小さな村です。
小さいとはいえ新しい開拓地には、大きな学校に新しい住居。多くの村人はこちらのニュータウンに住んでいるようです。
真新しい立派なホテルもあり「泊まってく??」と案内の方は進めてくれましたが今日は遠慮しておきます。
案内してくれた村の方と、子供たちにさよならを言って、来た道を戻ります。
「今日は素敵なオアシスでキャンプだよ!!」とドミニクさん。どんな所かな~。
行きに通った川。行きより少し水が減ったかな??でも、慎重に走ります。運転してるカメラマンさん楽しそうです。。。
あ!!!!発見!発見!新しい動物看板コレクション~~!!!キタ~~~【ラクダ】!!!
皆様お分かりですか~?!この看板の【ラクダ】日本の動物園や鳥取砂丘で見るものと違うんですよ~~!!
この看板のラクダは、コブが1つの【ヒトコブラクダ🐪】です!!!
エ???何が違うって???日本にいるラクダは2つコブがある【フタコブラクダ🐫】。
日本人の我々がラクダの絵を描く時、無意識にコブを2つ書いてると思いますよ。
N17号線に戻り、今度は南東の街「Figuig(フィギーグ)」に向かい進路を東に取ります。
その途中、ドミニクさんからの合図で道を外れ1キロほど道無き道を走ると・・・そこに現れた小さなオアシス~!!
ここが今日のキャンプ地です。夕日に染まるオアシス。なんて理想的なキャンプ~。。
今宵の宴も楽しくなりそうです。
【テンダラー → Iche → フィギーグ(手前15キロ) 走行距離287キロ】